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山田美帆(やまだみほ) ■取材・ロケ・コーディネーター ・中央アジア/シルクロード カザフスタン キルギス ウズベキスタン(カラカ ルパクスタン) タジキスタン トルクメニスタン ・ロシア・コーカサスなど 旧ソ連 ・イラン ■映像翻訳(ロシア語/カザフ語など) ■添乗・ツアーコーディネート メールはこちらへ yksilkroad@yahoo.co.jp *写真・記事ともに無断転載禁止。ご使用に際しては、メールにてご相談ください。 ++++++++++++++ ブログパーツ
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2019年 08月 06日
今日は広島に原爆が投下されて74年目の日…ということで、2015年に北緯50度線を巡るボーダーツーリズムに添乗した際にFacebookに書いたことをここにも貼り付けておこうかと。 記憶することと、記録すること。 同じ事象も立場が違えば記憶の仕方も記録の仕方も違うのは当然のこと。 例えば、日本人は‘’シベリア抑留者‘’と呼ぶが、ソ連側は‘’日本人戦争捕虜‘’と呼んでいること。 日本人は‘’南樺太と北方領土はソ連に不当に占拠された‘’と捉えるけど、ソ連・現ロシアでは‘’日本の占領から南サハリンとクリル諸島をソ連が解放した‘’となる。(日露戦争で日本に割譲された南樺太は確かに日本からの”解放”で間違いはないが、クリル諸島は…ソ連が日本から”奪った”というのが実際なんだけど。) 一方で、日本とソ連の狭間で翻弄される朝鮮人たちは、‘’日本の軍国主義者たちにより、罪のない同胞が虐殺された‘’と記憶する。 自分たちの主張を一方的にすることしかできないのは愚かなことで、交渉するなら相手側がどう主張するのか、その背後にはどんな根拠があるのかを知ろうとすべきだし、それを知った上で相手と向き合うべきだ。 戦場で兵士が犠牲になるのは当たり前だが、狭間ではそこに暮らす人々の当たり前の日常が壊され、そんな人々も犠牲となり命を落とす…それが戦争であり紛争だ。 そして、勝っても負けても双方に多大な犠牲を伴うのが戦争。 だからこそ、被害の記憶だけではなく、同時に加害の記憶も忘れ去ってはならないし、加害と被害の狭間で犠牲になった名もない人々のことも忘れてはいけない。 命拾いしても、その後の人生を思うように歩めなかった人々も無数にいる。 原爆の描写があまりにも生々しいから子供にトラウマになる…と学校にクレームを付ける親たちがいたり、嫌なものや怖いものを見ないで育った子供たちはどう育つの? 今年は戦後70年の節目になる…とか、そういう言い方にも違和感を感じる。 存在するすべての記憶を見つめずして、何にどんな節目を付けるの? 被害の記憶を70年間にわたり日本に突き付け反日を煽る中国や韓国を見て、何を思うの? だからこそ、被害の記憶も加害の記憶も決して忘れてはならないのが戦争なんじゃないのかな? だって、当たり前だけど戦勝国は加害の記憶を消し去って正当化する、だからまだその国々は現在もどこかで戦争や紛争を繰り返しているじゃない。 だから、あの戦争に日本は敗戦して良かったのだ。勝たなかったからこそ、被害も加害も記憶できることを誇りに思い、あの戦争から学習した日本だけにしか分からない経験をどこかで何かに生かすべきだ。あの時の戦勝国に右に倣えして何かをしなければならない理由は何もないし、右に倣えが”国際貢献”だと言うなら、そんな国際貢献はしなくてよい。 戦争という手段によって拡張した領土は、状況が変われば相手によって取り返される運命に晒されるもの。 そういう意味でも、南樺太や満洲で本当に何があったのかを知ることには大きな意味があると思う。 日本国内で何があったかを知るだけじゃ、あの戦争のことなんて到底語れないだろうし、戦後なんて何年経ったって終わらないし、終える必要もないんだ… そう実感しながら歩いた北緯50度線と南サハリンを巡る旅だったのかもしれない。 #
by yksilkroad
| 2019-08-06 23:20
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2019年 07月 08日
7月6日はカザフスタンでは"首都の日”。
そして、この日は初代大統領ヌルスルタン・ナザルバエフの誕生日でもあります。 1940年生まれのナザルバエフ前大統領、今年で79歳になるのですね。 翌日、就任直後のトカエフ大統領代行が首都の名称を初代大統領の名前"ヌル・スルタン"に改名すべきだと提案すると、議会が即日"全会一致"で改名案を承認。 23日にはトカエフ大統領代行が首都改名の大統領令に署名をし、首都アスタナが正式にヌル・スルタンに改名されたのはまだみなさんの記憶に新しいことと思います。 ナザルバエフ大統領の突然の辞任と、それに続く首都の名称変更(アスタナ→ヌル・スルタン)のニュースを記念して、ちょっぴりの皮肉と大きな愛を込めて… 「一日一枚ヌルスルタン運動」と称して、3月21日からInstagramに私の大統領コレクションを気まぐれにアップしてきましたが、それも結構な枚数になってきたので、ここで一旦まとめてそれらの写真を公開しておこうと思います。 アルマティ州タルドゥコルガン近郊にて。 アルマティからカプチャガイ方面へ向かう幹線道路沿いにて。 隣にはロシア帝国最後の皇帝アレクサンドル2世の肖像画が飾られていました。 私が個人的に気に入っているので、私と一緒にアスタナロケに行くと、ここでこの絵を撮る率がかない高いです(笑)。 カラガンダ州立郷土史博物館にて。 カラガンダ近郊の幹線道路沿いにて。 セミパラチンスク市内にて。 アラリスクにて。 2009年3月6日のカザフスタン共和国ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領のメッセージ。 クズルオルダ市内にて。 車で移動中にとっさにこれを撮ったのは、実は下のソ連のモザイク遺産が撮りたかったからなのですが、大統領とソ連遺産が同時に1枚に写った奇跡の一枚に(笑)。 カザフスタン西部のアクタウ市内にて。 大統領、建築、石油タンカー、石油の採掘…な写真がタワーのようになっていましたが、確か石油会社の施設内に立っていたものかと。 クズルオルダ市内にて。 カザフスタンの米どころ、クズルオルダにて。 アルマティ州、タルドゥコルガン近郊の村にて。 2016年9月、アクタウ空港から市内に向かう幹線道路沿いにて。 「冶金コンビナートでの最初のシフト」と書かれていた写真。 アルマティからカプチャガイ方面へ向かう幹線道路沿いにて。 アルマティ国際空港でいつも最後にお目にかかるヌルスルタン氏。 アラリスクの町にあった看板から。 アルマティからカプチャガイ方面へ向かう幹線道路沿いにて。 「共に未来を築こう。カザフスタン2020」 2011年4月に前倒しで行われた大統領選挙のこんなポスターから。 随分若く見えるけれど、これ、多分、カザフスタンが独立した直後くらいのヌルスルタン氏でしょう。 この写真、どこで撮ったのか記憶が曖昧なのですが、写真の日付を見る限りではテムルタウだったかと… アクタウ市内にて。 ウズベキスタンからチェルニャエフカの国境をカザフスタン側へ越えると、こんなヌルスルタン氏があなたを迎えてくれるでしょう。 「アバイの言葉はカザフ人のお守り、アバイの遺産は最も価値のある財産」 セミパラチンスク市内にて。 「カザフスタン2050 我々の力」 アスタナ市内にて。 「国が愛し、国を愛した国家指導者」 アルマティ市内にて。 そして、今日最後の写真は7月6日にアップしたこの写真。 アスタナ市内で良妻賢母教育を行う有料教育施設カザフ・クズにて。 これで28枚ありますが、私の大統領コレクションはまだ尽きないので、「一日一枚ヌルスルタン運動」はまだまだ当分続けられそうです。 #
by yksilkroad
| 2019-07-08 05:18
| 中央アジア
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2019年 06月 28日
番組放送のお知らせです。
7月の「世界の街道をゆく」はウズベキスタンです。 ********** 「世界の街道をゆく」 シルクロードⅢ/オアシスの道・ウズベキスタン 2019年7月1日(月)~7月31日(水) 全23回 毎週月~金 20:48~放送 番組サイトはこちら <番組サイトより> ウズベキスタン共和国。中央アジアの内陸に位置し、日本のおよそ1.2倍の国土を持つ国。多彩な風貌を持つ人々は、紀元前から中国と地中海諸国を繋いだ交易路、『シルクロード』の中継地として東西の文化が交差したこの地の歴史を受け継ぎ暮らす。かつてラクダの隊商・キャラヴァンが行き交った道を西から東へと進めば、点在するオアシス都市が遥かな時代へと誘ってくれる。中国からの絹織物。刀鍛冶の技術はシリアのダマスカスから。眩いばかりの建造物は交易の富が齎したもの。人々の容姿と共に、料理も多様だ。東洋と西洋を結んだシルクロード。ウズベキスタンの大地に続くオアシスの道を辿ってゆく。 ********** 関東ローカルのミニ番組ですが、是非ご覧ください。 街道沿いの風景を少しだけ… #
by yksilkroad
| 2019-06-28 13:04
| 番組放送のお知らせ
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2019年 06月 13日
「これと模様がちょっと違うけど…」
「模様はどっちでもそれほど変わりはないから買うわ。」 「何色にする?」 「う~ん…白かなぁ?」 「そう、じゃあ、ユーロの白ね! 白、白がいいわよね、白が…これ、センスいいわ。」 「何枚からだと卸値で安く買えるのかしら?」 「そうね、10枚~ね。もっとたくさん買ってくれるなら安くは出来るけど。」 「じゃあ、ユーロの白10枚と、iPhoneのピンクと緑を10枚ずつお願いします。」 ********** これ、キルギスのビシュケク近郊にあるドルドイという大規模なコンテナバザールでのドゥンガン人の売り子と私のやり取り。 ドルドイ・バザールの入り口のバス発着所。 ”ユーロの白”、”iPhoneのピンクと緑”って何だろう…?!と思われたた方、ショーツの新作で売り子のおすすめが”iPhone”と"Euro"でして… ショーツにマックのリンゴマークとユーロマークがビーズで付いていたからです(笑)。 ”下着世界”の一角。 2階建てになっているコンテナ、1階は店、2階は倉庫になっています。 ユーロ、iPhone以外にはドルマークなどもありました。 男性用トランクスでもよく100米ドル札がプリントされたものがありますが、好きなんですね、外貨マークが(笑)。 いや、正確にはここの方たちのセンスではなく、中国人のセンスなんですが。ここの下着、ほぼメイドインチャイナ。 ドキュメンタリー番組の撮影のため、朝から夕方まで広大なドルドイ・バザールの中をあちこち歩き回る数日間でしたが、地元の人たちだけではなく、カザフスタンや遠くロシアからの行商人たちがドルの束を持って大量に買い付けに来ていました。 巨大なコンテナがずらっと並ぶドルドイ・バザールでも、”下着世界”がある奥の方は卸売り専用のバザールになっていて小売りはしません。 ドルドイ・バザールで取材したのは2015年5月。 キルギスは2015年5月にユーラシア同盟に加盟、それまでは中央アジア最大ともいえる中国製品の一大卸売拠点だったドルドイ・バザールが以前ほどの賑わいを失い始めた時期のことでした。 あのとき”下着世界”で私が3種類のショーツを10枚ずつ購入したのは、別の一角で下着の小売りをする女性グーリャへのお礼として。 彼女は”下着世界”から卸値で下着を仕入れ、バス停に近いジュンハイ(中国の電化製品や食器などを主に扱う一角)の中で小売りしていました。 「私は長いことエカテリンブルグのバザールで下着を売っていたの。女性下着のことなら私に任せて。測らなくてもほぼサイズは分かる。ロシアから買い付けにくる顧客も結構いるの。でも、キルギスがユーラシア経済同盟に加盟したら、ここでの私の商売も成り立たなくなってしまうかもしれないわね。そうしたらこの店は畳んで、またロシアに出稼ぎにでも行かないと生活できなくなるのかしらね? お先真っ暗だわ…」 バザールで商売をする商人たちが皆、口をそろえて将来への不安を口にする中、グーリャもこう苦笑いしていましたっけ。 ピンクと緑のiPhoneとユーロのを1枚ずつ、日本まで遥々記念に持ち帰ってきましたが、このまま取っておくことにします。 あの時、”下着の世界”に半日以上いた記念に… ちなみに、このピンクの色合い、グーリャ曰く”スイカ色”なのだそうです。 グーリャは今、どこで何をしているのかしら…? バザールの賑わいは戻っただろうか…? 久しぶりにドルドイ・バザールを隅から隅まで歩き回りたいなぁ…と思う今日この頃です。 #
by yksilkroad
| 2019-06-13 02:48
| 中央アジア
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2019年 06月 04日
再放送のお知らせです。 世界ふれあい街歩き「シルクロード 青の都 サマルカンド~ウズベキスタン~」 NHK BSプレミアム 6月4日(火) 午前8時00分〜9時00分 6月10日(月) 午後6時00分〜7時00分 です。 ********** <以下、番組サイトより> ウズベキスタンの古都サマルカンド。「シルクロードの青い宝石」と呼ばれる街で、底抜けに明るく、もてなし好きな、人なつこい人々と出会う。 シルクロードの真ん中に位置し、東西文化の交差点として発展したサマルカンド。ティムール朝時代に建てられた、青色を基調にしたモザイクタイルのモスクや廟(びょう)の美しさから、「シルクロードの青い宝石」と呼ばれる。通りがかりにフルーツをふるまってくれたり、自宅に招いてくれたり、人々は大のもてなし好き。雲一つない、すがすがしい青空の下、心洗われる出会いがいっぱい!『より道』は、伝統刺しゅう・スザニの村。 【語り】八嶋智人,濱田マリ 番組のサイトはこちら ********** 番組では、現地に行ってみたら本当にこんな素敵な出会いがあるかも…というテンションでサマルカンドの街歩きを楽しんでいただけるかと思います。 サマルカンドに行かれたことのある方も、まだ行かれたことのない方も、この機会に是非ご覧くださいませ。 ↑観光地だけではなく、住宅地の路地に迷い込んでマハラ歩きを楽しもう。 ↑シャヒーズィンダ廟群の青の回廊は絶対に訪れたい場所。 ↑アフロシヤブの丘からサマルカンドの街を眺めてみる。 ↑庭先でスザニ(刺繍)をする祖母と孫娘。 サマルカンドから少し足を延ばしてウルグットへ行くと、家庭でのこんな光景に出会えるかもしれません。 ********** さて、サマルカンドと言えば、先月下旬にもまた行ってきたのですが、街歩きのロケをした去年9月に比べると観光客の数が格段に増えていました。 暑くなる6~8月半ば頃までは観光シーズンも一段落することでしょうが… ティラカリメドレセのドームが修復中。 2年に一度レギスタン広場で行われる国際音楽祭「シャルク・タロナラリ」が今年8月25~30日に開催されるので、それに合わせての修復なのでしょう。 個人的にはここ4年程のこのドーム上部のタイルの状態にはずっと苦言を呈してきているので、修復は大歓迎ですが… さて、その修復もどんな風に完成するのか…かなり気になります。 ↓こちらは修復前のドーム。修復されたであろう上部のタイル、あるべき輝きがなく、ペンキを塗ったようになっているのが分かるでしょうか? 音楽祭の前後にはレギスタン広場の真ん中に特設ステージが設置されるため、こんな感じになっていたりします。 #
by yksilkroad
| 2019-06-04 02:16
| 番組放送のお知らせ
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