プロフィール
++++++++++++++
山田美帆(やまだみほ) ■取材・ロケ・コーディネーター ・中央アジア/シルクロード カザフスタン キルギス ウズベキスタン(カラカ ルパクスタン) タジキスタン トルクメニスタン ・ロシア・コーカサスなど 旧ソ連 ・イラン ■通訳・映像翻訳(ロシア語/カザフ語など) ■添乗・ツアーコーディネート ■中央アジア旅行アドバイザー メールはこちらへ yksilkroad@yahoo.co.jp *写真・記事ともに無断転載禁止。ご使用に際しては、メールにてご相談ください。 ++++++++++++++ ブログパーツ
以前の記事
2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 05月 2016年 03月 more... 最新のコメント
カテゴリ
検索
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
1 2016年 10月 12日
そういえば、近々、スターリンの生まれ故郷のゴリに行くので、スターリンの話題でも。
ウィキペディアのロシア語版で”スターリン像”を読んでいたら、こんな記述が。 ![]() この記述を見て、Бугунь村がどこにあるのかすぐに思いつく人はほとんどいらっしゃらないかとは思いますが、私の脳裏に浮かんだのはこんな風景。 ![]() 昔教師をしていたというおじいちゃんの家の庭にこんな風に置かれていたスターリン像。 ![]() ![]() ![]() ![]() 村人が悲しそうに砂しか見えない地平線を見つめてつぶやく。 1940年代に自然改造計画を立てたソ連の指導者がスターリンだった。 アラル海に流れ込むアムダリア川流域を大規模な綿花の生産地にするために、シルダリア川流域でも大規模な米作を推進すべく2つの大河を農業灌漑として利用するため各地に大規模な運河を建設、その結果、60年代に入るとアラル海に流れ込む水量は激減し、アラル海の湖面は縮小するばかり、塩分濃度が高くなった湖からは魚が消滅した。 自分は教師だったとしても、周囲は漁業で生計を立てていた人がほとんどだったはず。 スターリン像を救済して庭に置いているおじいちゃんとその家族は今、どんな気持ちなんだろうか? そういえば、先日”アラリスク駅にて ~レーニンに魚を送った記念のモザイク~ ”の記事の中にも書いたが、この村の漁師たちも1921年にロシア中央部の飢饉を救うべく、アラル海の魚を14両のコンテナに乗せて送ってレーニンに称賛されたのだった。 この村に昔のようにアラル海の水が戻ってくるのはいつになるのだろうか? 久しぶりに小アラル海のこんな漁師村を訪れたいとも思う今日この頃。 ■
[PR]
▲
by yksilkroad
| 2016-10-12 05:12
| 中央アジア
|
Comments(0)
1 |
ファン申請 |
||
外部サイトRSS追加 |
||