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山田美帆(やまだみほ) ■取材・ロケ・コーディネーター ・中央アジア/シルクロード カザフスタン キルギス ウズベキスタン(カラカ ルパクスタン) タジキスタン トルクメニスタン ・ロシア・コーカサスなど 旧ソ連 ・イラン ■映像翻訳(ロシア語/カザフ語など) ■添乗・ツアーコーディネート メールはこちらへ yksilkroad@yahoo.co.jp *写真・記事ともに無断転載禁止。ご使用に際しては、メールにてご相談ください。 ++++++++++++++ ブログパーツ
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2007年 05月 04日
「実際に現地へ行ってみないと空気感と人々は分からない。1年くらい現地で生活してみようか・・・」
大学の卒論で中央アジアについて触れた私はそう思い、1995年秋、カザフスタン共和国のアルマティ(当時は首都)に降り立ちました。 現地に滞在するための名目は語学留学。 中央アジア諸国では国語が現地語で、ロシア語も公用語として広く使用されています。教育機関ではロシア語とカザフ語の両コースの授業があるのですが、ほんの気まぐれから私はカザフ語を選択することにしました。 カザフスタンではロシア系が人口の35%ほどを占めているものの、約半数はチュルク語系のカザフ人。一般のカザフ人はカザフ語・ロシア語バイリンガルで、本音を語るときにはきっと母語であるカザフ語で話すに違いない・・・そう思ったからです。 ソ連から独立してまだ4年ほどの当時は、国語に制定されたカザフ語教育制度もまだまだ定着しておらず、教科書・辞書類はロシア語で書かれたものしかありませんでした。こうしてカザフ語の単語をひとつ覚えるたびにロシア語の単語も覚える羽目となり苦労もしたものの、おかげでロシア語も不自由なく使えるようになりました。 アルマティでの最初の住まいは大学の寮。部屋の窓からは天山の支脈の山並みが間近に望め、毎朝晩、窓辺に寄りかかってはぼんやり山を眺めているのが好きでした。 言葉もまだままならず、行動範囲も狭かった最初の頃・・・私の付き合いといえば同じ寮の住人たち、クラスメイトの外国人たち、それにごくごく少数の日本人くらい。 外国人用の寮の顔ぶれも極めてユニーク。 商売目的にロシア語を勉強する隣国からの中国人の大群、日本より中央アジアとは経済交流が盛んな韓国人グループ、「カザフスタンはトルコの弟分」と豪語するトルコ人たち、元々のルーツは中央アジアであるというハンガリー人、ソ連時代からの留学生であるエチオピアからのブラック・ジュー(ユダヤ人)、アフガニスタン人、ナイジェリア人、そして中国、モンゴルや近隣の中央アジア諸国からの帰還カザフ人たちとその家族(ロシア、中国、モンゴル、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタン、トルコなどにも広く分布している)・・・ 互いの共通語はロシア語かカザフ語。そんな環境に揉まれ生活していると、1ヶ月もしないうちに徐々に言葉を覚えていき、現地の友人知人たちも増え、交友範囲も徐々に広くなっていきました。 随分便利になってきた今とは違い、突然お湯がなくなる、停電もしょっちゅう、電話もなければろくな電化製品もない、気の利いたカフェやスーパーもなかった頃。それでも不便さを感じることもなく、あるがままの生活を謳歌しました。 そんな生活を送っていると、人との関わり合いも自然と深くなってくるもの。 こうして現地の人たちと話し、接し、同じ物を食べ、街を歩き、バザールで買い物をし、失敗や苦労も楽しみながら五感のすべてで中央アジアを感じ取っている自分がいました。 拠点はアルマティに置いていましたが、旅行や仕事で隣接する中央アジアの国々へもしょっちゅう出向きました。 カザフ語が話せるのでキルギス語、ウズベク語、トルクメン語も何とか理解でき、分からない部分をロシア語で補えば十分意思の疎通が出来ます。 一言で中央アジアの国々と括ってしまいがちですが、それぞれに違った趣があり面白いもの。 1年間は大学へ通い、その後コーディネーターや通訳などの仕事をするようになりかれこれ10年近く。 今でも年に何度かは中央アジアへ出かけますが、日々こうして東京で暮らしていると無性に恋しくなるものがあります。 それは見渡す限りの地平線と大平原、頂上に雪を頂いた美しい中央アジアの山々と満天の星空、きらきらした瞳の子供たちと素朴で温かい人々・・・ それを見ていると、 「ここにはこんな素朴で純粋な子供たちがいるのだからきっと大丈夫…」 という妙な安心感を感じるものです。 子供が好奇心旺盛で人懐こいのは、大家族が多く、親戚・近所づきあいが密だからかもしれません。 そして、家族や近所づきあいの中では、老若男女誰もが自分の役割と居場所を持っています。 そう、私たち日本人が失いつつある大切なものを彼らはずっと持ちつづけているのでしょうね。 どこか懐かしさを感じ、ホッとする場所・・・中央アジアは私にとってはそんな所なのかもしれません。 「百聞は一見にしかず」 思い立ったらいっそのこと相手の懐に飛び込み、異文化生活を体験するのも旅のひとつの形かもしれないと思う今日この頃です。
by yksilkroad
| 2007-05-04 23:16
| 中央アジア
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