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山田美帆(やまだみほ) ■取材・ロケ・コーディネーター ・中央アジア/シルクロード カザフスタン キルギス ウズベキスタン(カラカ ルパクスタン) タジキスタン トルクメニスタン ・ロシア・コーカサスなど 旧ソ連 ・イラン ■映像翻訳(ロシア語/カザフ語など) ■添乗・ツアーコーディネート メールはこちらへ yksilkroad@yahoo.co.jp *写真・記事ともに無断転載禁止。ご使用に際しては、メールにてご相談ください。 ++++++++++++++ ブログパーツ
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2016年 10月 04日
いざ、天の日は我がために 金の車をきしらせよ、 颶風(ぐふう)の羽は東より いざ、こころよく我を追へ。 黄泉の底まで、なきながら、 頼む男を尋ねたる、 その昔にもえや劣る。 女の恋のせつなさよ。 晶子や物に狂ふらん、 燃ゆる我が火を抱きながら、 天がけりゆく、西へ行く、 巴里の君へ逢ひに行く。 「旅に立つ」 与謝野晶子 ************ 先月のある雨の日、ウラジオストクの旧極東総合大学(現極東連邦大学)の構内の木陰にひっそりと建つ与謝野晶子の歌碑を久しぶりに訪れた。 34歳の晶子は5月5日に敦賀港を発ち、ここウラジオストクからシベリア鉄道に乗りこみ西へと向かい、夫、鉄幹のいるパリを目指したのだった。 ++++++++++++++++++++ 出発点でもあり、終着点でもあり、通過点でもある… 港町ウラジオストクは、私にとってもいろんな意味で思い入れの深い街。 誰かに逢いに行く…わけでもなく、私が初めてウラジオストクを目指したのは1992年8月。 ソ連時代は閉鎖都市だった軍港のウラジオストクが外国人に開放されて間もない頃のこと。 新潟からハバロフスクへ飛び、そこから西へシベリア鉄道に乗り、途中下車をしながらモスクワへ。その後南下しウクライナのキエフからクリミア半島へ、さらにペテルブルグを目指し、バルト三国からポーランド経由で東ベルリンへ、またモスクワに戻り、そこからウラジオストクまで途中下車なしで終着駅のウラジオストクを目指した40日近い鉄道での長旅の終着点がウラジオストク。そしてルーシ号に乗り、横浜まで帰国したのだった。 今思い起こしてみても若くなければ、好奇心の塊でなければ出来ないような、長い長い旅だった。 2度目のウラジオストクは1993年、新潟から船で渡った。 ウラジオストクからシベリア鉄道でイルクーツクへ、イルクーツクから列車を乗り換えてのモンゴルへの旅。 その後も2010年にモスクワからシベリア鉄道豪華列車でウラジオストクを目指す旅に添乗したり、それ以外にも3度ほどウラジオストクは訪れてはいたけれど、今回のウラジオストク滞在中、20年以上前の自分の足跡を辿りながら、ひとりで駅周辺を散策。しばしノスタルジックな旅気分に浸る。 20年以上も経てば町の佇まいも雰囲気もかなり変わってはいるが、一方で昔のまま変わらぬ風景もたくさんある。 極東連邦大学の校舎にはこんな文字が。 あの頃にはなかったこんな碑も。 2001年に運行開始100周年を記念して駅舎の壁に掲げられたシベリア鉄道のレリーフ。 あの頃、スーパーマーケットなどという気の利いた施設があったら…⁈ ここから日本にエアメールを送るのに言葉も分からないのに列に並んで切手を買おうとしたあの頃を懐かしく思い出しながら… そして、最後にこんな写真を。 あの頃のウラジオで売られていたものは軍の制服、帽子・・・それからレーニンだったっけ。 20数年前を懐かしむ・・・曇天のウラジオストクで過ごした束の間のひととき。
by yksilkroad
| 2016-10-04 02:38
| ロシア・旧ソ連
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