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プロフィール
+++++++++++++++++ 山田美帆(やまだみほ) 中央アジアやロシアでの 取材コーディネーター/通訳(ロシア語/カザフ語)/添乗 など メールはこちらへ yksilkroad@yahoo.co.jp *写真・記事ともに無断転載禁止。ご使用に際しては、メールにてご相談ください。 +++++++++++++++++ 以前の記事
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マンゴーの香り [2006-07-31 11:13 by yksilkroad]
パキスタン風 [2006-07-29 23:20 by yksilkroad] 馬乳酒を召し上がれ [2006-07-05 01:59 by yksilkroad] 遊牧民の希望とエーデルワイス [2006-07-04 04:22 by yksilkroad] 久しぶりに見た山並み [2006-07-03 06:16 by yksilkroad] 2006年 07月 31日
「ガンダーラ」という言葉には何処か惹かれる響きがあります。
Gandharaとは「香りの谷」という意味。 現在のパキスタン北西辺境州中央部に位置する、古くからの東西交易ルートの要衝でした。 ギリシアの美術の影響を色濃く受けたガンダーラ美術。 ブッダが仏像という形で表現されるようになったのは、紀元後1世紀パキスタン北西部のガンダーラ地方に始まったと言われます。 そしてその地に2~4世紀にかけてガンダーラ仏教美術が花開き、シルクロードを通ってはるばる中国や日本にまで伝わったのです。 昨夜から「ガンダーラ美術にみるブッダの生涯」という本を読んでいます。 ・・・ヴァイシャリーという町にマンゴー園の番人の娘アームラパーリーという美しい娘がいました。死期の迫ったブッダの最後の遊業の旅の時、アームラパーリーは自分のマンゴー園を教団に寄進し、自らも仏法僧に帰依します・・・ マンゴーの原産地はインドなのでしょうか? マンゴーと言えば、パキスタンのマンゴーは世界一! 百数十種類もあるといわれ、バザールで見かけるものだけでも形や大きさや色も様々。 どこのバザールでも、露店で山積みにされたマンゴーが売られていました。 日本ではパキスタン製のマンゴーを見かけません。きっと輸入されていないのでしょう。 仕方がないので、1つ100円のフィリピンのペリカンマンゴーを頬張っています。 今度はマンゴーを食べにパキスタンに行ってもいい・・・そう思えるくらい、パキスタンのマンゴーの濃厚な味と香りが恋しい今日この頃です。 2006年 07月 29日
蒸し暑い日が続いていますね。
先日、パキスタンのペシャワールでむっとする43度の猛暑を体験してきましたが、日本の蒸し暑さも勝るとも劣らず・・・不快。 乾燥した中央アジアの暑さが懐かしく感じられる今日この頃です。 今月はパキスタンへ行ってきました。 現地では民族衣装を購入、パキスタンにいる間はずっとそれを愛用していました。 綿麻混紡素材で、汗をかいても身体にべたっとすることなく気持ちのよいもの。 すっかり気に入ってしまい、帰国した今では部屋着と化しています。 パキスタンの民族衣装はシャルワール・カミーズと呼ばれます。シャルワールはズボン、カミーズは長シャツのこと。 ←下に流れているのは「パキスタンの背骨」とも呼ばれるインダス川。 この格好をしていると、毎朝、ドライバーさんの挨拶が "How are you ?" ならぬ "Who are you ?" だったのが懐かしく感じられます。Who am I...? 現地人の服装って、その風土に合った合理的なものなのだと再認識。 今度中央アジアへ行った時には、タジキスタンの知人が仕立ててくれたワンピースを着てみようかと思っています。 2006年 07月 05日
![]() 「馬乳酒はいかがですか・・・?」 2006年 07月 04日
3,038メートルのドロン峠。
トルガルト峠越えの起点となるキルギス中部の山中に位置する町、ナリンへ向かう途中、ひとつ峠を越えます。 天山山脈の支脈を背景に家畜の群れが草を食む青々とした草原が広がる、カザフスタンのアルマティからキルギスのビシュケク近郊までの開放感あふれる風景は一転。 道路は狭く曲がりくねり、高度をどんどん上げ、山の中へとわけ入っていく感じです。 峠を越えて少し下ったところに、ユルタ(ゲル、パオ)がありました。夏の間(5月から10月頃)だけこの山の中へ移動し、のんびりと放牧をしながら、馬乳酒を売って現金収入を得て生活する一家。 ユルタの中からニコニコ顔を出し、 「せっかく寄ったのだから、ユルタの中に入って、馬乳酒とパンをどうぞ。」 と恰幅の良いお母さん。 誘われるがままにユルタの中に入り、かまどで焼いた自家製ナンと濃厚なカイマック(サワークリーム)をご馳走になり、馬乳酒を飲み干します。 こうして歓迎されたときには出されたものを可能な限り口にするのが礼儀・・・と飲んでみた馬乳酒でしたが、これがなかなかの美味で驚きました。この時期、6月半ばの馬乳酒は水っぽくもなく、発酵しすぎでもなく、ちょうどよい按配なのかもしれません。 ユルタの中でしばし世間話をしていると、お母さんの末娘がいつのまにか私の隣に座っていました。好奇心旺盛で、表情の生き生きした可愛い女の子。年頃は12歳くらいでしょうか?名前はウミット(希望)。 純粋で目が輝いていて、まさに彼女の将来は希望に満ち満ちているのでしょうね。 バスへ乗り込もうとしたとき、足元の草の間からエーデルワイスのつぼみが顔を覗かせているのに気がつきました。 このあたりの山の中でエーデルワイスが咲き乱れるのは7月頃。 つぼみもここで花開く日までじっと待つのでしょうね。 遊牧民の素朴さとエーデルワイスのつぼみにでも癒されたのでしょうか。 何だかほっとしている自分がいました。 そして、翌日に待ち受けているトルガルト峠越えも、スムーズにいくような気にさえなってきました。 2006年 07月 03日
先日のアルマティ滞在中のこと。
久しぶりに町からザイリースキー・アラタウ山脈の山並みを綺麗に望むことが出来ました。 前日夜の大雨が幸いしたようです。 留学中は山を間近に望む市内南部にある大学の寮の窓から、毎朝晩この山を眺めていたものですが・・・ それももうかれこれ10年も前の話です。 ![]() 近年の石油バブルでアルマティの町は刻々と姿を変えているようです。 車も急激に増え、日中でさえ渋滞に巻きこれるほど。 新しい高級マンション群が次々と建ち並び、高級ブティックもスーパーもどんどん出来ています。 お金さえあれば、日本とそれほど変わりない生活ができるでしょう。 昔と変わらないのは山並みとバザールの風景くらいなのかもしれません。 良い意味でも悪い意味でも、国も町も人も経済も社会も変わりつつあるのでしょうね。 だからなのでしょうか、顔なじみの人々の顔を見ると、懐かしさと喜びを隠せません。 「あ、この朝鮮人のおばあちゃん、まだここでサラダ類を売っているのね。相変わらず元気そうで良かった。」 とか、 「あ、ここの守衛さんはまだこの人なんだ。」 とか、バザールや人ごみの中でなじみの顔を見つけて、彼らに思わず微笑みかける瞬間、変わりつつあるアルマティでの心地悪さから解放されているのかもしれません。
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