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山田美帆(やまだみほ) ■取材・ロケ・コーディネーター ・中央アジア/シルクロード カザフスタン キルギス ウズベキスタン(カラカ ルパクスタン) タジキスタン トルクメニスタン ・ロシア・コーカサスなど 旧ソ連 ・イラン ■映像翻訳(ロシア語/カザフ語など) ■添乗・ツアーコーディネート メールはこちらへ yksilkroad@yahoo.co.jp *写真・記事ともに無断転載禁止。ご使用に際しては、メールにてご相談ください。 ++++++++++++++ ブログパーツ
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2008年 09月 05日
イラン、カスピ海に面したギラーン州にて。
紅茶の産地であるラヒジャーンを訪れた際、紅茶博物館でもらったギラーン州の地図の表紙になっていたあるお城の写真を目にし、何だか不思議とお城に呼ばれているような気分になった私。 「こういうときの直感にはきっと何かある!」 というわけで、面倒くさがる同行者を説得し、そのお城へ向かうことにしました。 それが高い山の上にあるとは露知らず・・・ 山の麓で車を降り、そこからは徒歩です。 駐車場にはお城の写真の入ったCD-ROMを売る地元の子供たちの姿がありました。 CD-ROMを買い求める人も結構いるのを見て、 「きっと一見の価値のあるお城に違いない・・・」 お城に呼ばれていると感じていることもあり、私の気持ちは高まります。 うっそうと木々が茂る山の中へと続く階段を登り始めますが、お城はなかなか姿を現しません。 山の階段をゆっくりと登ること20分ほど。 近くに居合わせた家族連れの観光客に 「お城まであとどれくらいかご存知でしょうか?」 と思い切って尋ねてみますが、 「さあ・・・私たちも初めてで、さっぱり見当がつきません。こっちが聞きたいくらいだわ。」 と一言。それならば・・・と上から降りてくる人たちに聞いてみますが、今度は、 「実はお城まで行かずに途中でギブアップして降りて来たので知りません。」 と返されてしまいました。 「お城というからには、難攻不落の頂上にあったとしても不思議ではない。この山を頂上まで登らなければお城は姿を現さないかも・・・」 この辺りからそう思い始めた私。 それでも、あとどのくらい登らなければならないのかはやはり気にかかるものです。 小さな子供を連れた家族連れ、ハイヒールで階段を上る女性たち・・・周囲をよく見ると、気合の入った格好をしている人はほとんどいません。ヒールのあるサンダルを脱ぎ、裸足で階段を上る女性の姿も見られます。バスでやって来た地元のツアー客を案内するガイドも、 「どれくらい登らなければいけないの?」 と中年女性客に聞かれるも、はっきりとは回答できない始末。 途中でリタイアして降りてくる人々も結構いるので、余計に気になってしまいます。 これには体力には自信があるはずの同行者も、 「これ、きっとまだ遠いし時間がかかるよ。暗くなっちゃいそうだし、もう降りようよ。元々来るつもりはなかったところだし、お城なんてどうでもいいじゃない・・・」 と弱気になってきました。そう言われると余計に行きたくなってしまうのが私の性格。 「もう半分以上登ったかもしれないのに、ここでリタイアするのはイヤ! それにリタイアしたとして、こんどいつここに来られるか分からないし。お城は山頂にあるだろうけど、上まで登る!」 意地を張ってみたものの・・・上に行くにつれ階段は急になり、疲れは隠せません。 日本のように湿気があるので汗だらだら。頭に巻いているショールがだんだん邪魔くさくなってきます。スカーフを頭から外して首にかけている若い女の子を何人か見かけ、私もスカーフを外して彼女たちに目配せ。 「どうせ山の中だし・・・いいよね?」 途中、山の湧き水を飲んだり、すれ違う人々と言葉を交わしたり、休憩をしながらさらに登ること20分ほど。すると、下からジャージ姿で階段を駆け上がってくるおじさんの姿が。早速彼を呼びとめ、あとどれくらい登るのかをたずねてみます。 「カーブをあと4回も曲がればお城だよ。私はサッカーのコーチをしているんだけど、いつもこの山で体力を鍛えているんだ。」 と誇らしげに答えてくれたおじさん。おじさんの後にも生徒でしょうか、若い男の子たちがジャージ姿で次々に階段を駆け上がっていくではありませんか。 そんな彼らの後姿に感心しながらも、こちらは休み休み、ゆっくりと階段を上ることしかできません。ところが、さらに上っていくにつれ、おじさんの「あと4曲がり」という言葉もいい加減だったことが判明。 「もう4曲がり以上したはずなのに・・・えっ、まだ着かないの?!」 と文句を言いつつも、さらに階段を上り・・・ 自然の要塞に守られた難攻不落の山城・・・ふと、岐阜にある金華山と岐阜城のことを思い出していました。 長良川のほとりで育ったので、小学生のころにはよく山登りをしたものです。標高328メートルの金華山。「七曲」「百曲」「馬の背」「めい想の小径」・・・というのは金華山登山コースの名前。「七曲」は文字通り7回も曲がれば上まで登りきれるはずの勾配の少ない階段コースです。一度曲がる回数を数えてみたことがありましたが、10回はゆうにあったと記憶していますが(笑)。 時には駆け上がりながら・・・七曲コースの階段を子供の足で40分ほどもあれば登り切っていたのではないでしょうか。 「七曲よりももっと勾配の多い急な階段を上っているというのに、この山は一体何メートルあるのかしら? もう所要時間なんてどうでもいいから、とにかくお城まで頑張って上ることだけを考えよう。」 そう思い始めた頃・・・ 麓の駐車場を出発してから休憩も含め1時間半ほどはかかったでしょうか。 木々の間にやっと城らしき古めかしい城壁が姿を現しました。 入り口の近くにあった案内板にはこんなことが書かれていました。 ****** <ガレ・ルッドゥカーン> イランでも有数の素晴らしい軍事城砦のひとつ。 フーマンから23キロ南西にある山林の中に建ち、城砦は687~778メートルの山頂にある。 セルジューク時代にギラーン州を支配していたアシャギ朝(初めて聞いたのでよく分かりません?)の時代に建設されたといわれる。この城砦はイスラーム化以前のものだという専門家もいるが、詳細は明らかではない。この城砦が最初に文献に登場するのはサファビー朝時代(16~17世紀)のシャー・イスマイルの石碑。ザンド朝時代にフマーンの支配者であったイェダヤット・アッラー・ハーン・フマニーにより最建築された。 この城砦はこの辺りを流れる川にちなんでガレ・ルドゥカーン(ルッドゥカーン城)呼ばれるが、、ヘザール・ペッレ(1000段)という名称で呼ばれることもある。 城砦の総面積は2.6ヘクタール、中央・西・東と3つの部分に分けられる。入り口は中央部にある。いちばん古い東側部分には出入り口(これは非常用出入り口だといわれる)と上級官僚用の宿舎があった。西側部分のいちばん高い場所には王の宮殿と貯水設備があった。城の総面積は1500平方メートルで、城壁や建物の高さは5~12メートル。城砦はすべて煉瓦と石で造られている。 ガレ・ルッドゥカーンは33年前にイランの国立遺産に登録された。 ****** 息もかなり切れていたので、案内板の横に座ってひと休み。 「ヘザール・ペッレ(1000段)って、ここにたどりつくまでに階段をどれくらい上ったのかしら? 城砦が機能していた昔は階段なんてなかったはず。敵は馬に乗って攻めてきたのだろうか? それとも徒歩で? それにしても、きっと難攻不落の城砦だったに違いないだろうな。山の高さも金華山の倍はあるし・・・」 そしてついに石と煉瓦造りの門をくぐり、城の中に足を踏み入れると・・・こんな光景が広がっていました。 城壁には外に向かって矢を射る用の穴もたくさんあり、この場所が城砦として機能していたであろうことは明らかです。 こちらは城砦の東側部分。 丸く囲われている部分は貯水設備です。 煉瓦が積まれていますが、下から修復用に煉瓦を運ぶのも一苦労でしょうね。 城壁にびっしりと詰まれた煉瓦や石の間には苔のようなものが生え、腐食したような部分も何ヶ所か見られました。 日本のように湿気をかなり帯びた気候ですから、城砦のメンテナンスにはかなりの労力を要したことでしょう。 腕時計を見ると、時間はもう16時を過ぎています。その日のうちにテヘランへ戻らなければならないこともあり、あまりゆっくり城砦の中を歩き回ることなく足早に下山しました。 さっきはあんなにひいひい言いながら上ってきた階段も、下りはそれほど苦になりません。 自分たちの経験もあり、下から上ってくる人たちからの問いかけには親切に対応しながらも、30分ほどで駐車場まで下りてきました。 駐車場では相変わらず子供たちがCD-ROMを売っている姿が。彼らの商売がそこそこ繁盛していたのにはそれなりの理由があったのだと、城砦まで階段を上り下りしてやっと理解できました。それに、途中でリタイアしていたら、私もCD-ROMを買っていたかもしれませんしね。 「絶対にお城まで上るといって聞かない貴女はやっぱり強情だよね。でも、久しぶりによい運動になったし、楽しかったね。」 とつぶやく同行者。そして、 「でも、一体、あのお城のどこがミホを呼んでいたんだろうねぇ・・・?」 と一言。 城砦まで山を上りきった達成感の方が勝り、そんなことはもうどうでもよくなっていた私は、 「セルジューク朝時代に造られた城砦だったからじゃないの? トルクメン人にいつか”貴女は昔の典型的なトルクメン人の顔をしていますよ。”と言われたこともあるし、前世かその前のいつかここに関係していたのかもしれないね・・・」(注:セルジューク朝は今のトルクメン人の先祖にあたるテュルク系のオグズ族が建国した国) と適当な回答だけして、すぐに眠りに落ちてしまいました。 実際、階段の上り下りに疲れ果て、城砦に立った時も自分のインスピレーションを検証する余裕すらなかったのです。お城までの険しい道のりを予想しなかったということは、仮に前世でこの城砦に関係していたとしても、山の下から指をくわえて難攻不落のこの城砦をただただ眺めていただけだったのかもしれません。 それに前世はともかく、ガイドブックには載っていない観光地へ行ってみたかっただけだったのかもしれませんね(笑)。 ところで、イラン人は一般的にこんな山林のことを「ジャングル」というのだということが判明。 それならば、イラン人には日本はどこもかしこもジャングルだらけ?! 私の日本人的感覚だと、これは単に「山」。「ジャングル」というと、まさに熱帯雨林のような場所をイメージするのですが・・・ カスピ海地方や北西部を除けば、禿山のような石だらけの山の方が多いであろうイラン。それを考慮すれば、彼らには小さな森でも山でも「ジャングル」と映るのかもしれませんね。
by yksilkroad
| 2008-09-05 02:42
| イラン
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