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山田美帆(やまだみほ) ■取材・ロケ・コーディネーター ・中央アジア/シルクロード カザフスタン キルギス ウズベキスタン(カラカ ルパクスタン) タジキスタン トルクメニスタン ・ロシア・コーカサスなど 旧ソ連 ・イラン ■映像翻訳(ロシア語/カザフ語など) ■添乗・ツアーコーディネート メールはこちらへ yksilkroad@yahoo.co.jp *写真・記事ともに無断転載禁止。ご使用に際しては、メールにてご相談ください。 ++++++++++++++ ブログパーツ
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2006年 01月 18日
昨日は久々に嬉しい再会が。
去年の2月にテレビ朝日系列で「青いツバメ~秋野豊・タジキスタンからのEメール」というドキュメンタリー番組が放送されたのですが、その関係者の集まりがあったのです。 秋野豊さんをご存知でしょうか? 筑波大学の助教授から転身、タジキスタン和平PKOに民生官として赴任し、1998年に現地での活動中、タジキスタン中部の山中で何者かによって射殺されてしまった方です。番組は秋野さんの人柄や現地での活動、日本にいる家族とのふれあいを描いたものでした。 「しばらく住んでもいいかも・・・」とさえ思ったほど、タジキスタンでは居心地がよかったものです。私が現地で出会った人たちはほぼ全員と言ってよいほど、穏やかで優しく、理性的で物分りがいいという印象を受けました。普段は仕事でどこへ行っても滞在中に必ず一度は怒り狂って声を荒げることのある私ですが、タジキスタンではそういうこともなかったせいなのかもしれませんが。 ↓タジキスタン中部の山あいの村に住む家族 遥か昔からシルクロード交易で活躍してきたソグド人の末裔とも言えるタジク人。 タジキスタンはアフガニスタンと国境を接し、ソ連解体後の内戦で治安の悪い国・・・というイメージが定着してしまっているようなのが残念ですが、歴史的な見どころはたくさんあります。愛知万博では涅槃像が展示されていたように仏教遺跡もたくさんありますし、もっと以前にアレクサンダー大王が遠征のために作った砦なども残っています。北部の町ホジャンドのバザールは中央アジア一大きなバザールと言っても過言ではありません。また、”パミール”という言葉の響きにロマンを感じる人も多いのではないでしょうか。最近では中国との国境も開放され、カシュガル方面からもアクセスが可能になりました。 そう言えば、タジク人の女性の多くは眉毛をつなげています。これは元々パミール地方の習慣だったようですが、10代半ばになると男女とも眉間に入れ墨を入れ、それによって成人と認められる、いわば元服のようなものだったと言われています。眉間をまゆずみで染めているのを見ると日本人には奇妙に映るかもしれませんが、民族ごとの美意識の違いって面白いものですね。ウズベキスタンのサマルカンドやブハラでもそういう女性を見かけることがありますが、あちらにもタジク系の住民が多く、バザールではウズベク語ではなくタジク語が飛び交うことの方が多いという印象を受けます。 ↑サマルカンドのシャヒージンダ廟前で見かけた少女 タジク人とウズベク人はかなり混血が進んでいたりもするので、ウズベキスタンではパスポートに「ウズベク人」と登録されていても、実際にはタジク系の人も多かったりもします。 と言うのも、ウズベク人やタジク人という民族概念が生まれたのはほんの数世紀前のことで、それ以前は定住民たちは自分たちの住んでいる土地に帰属感を抱いていたといいます。例えば、ブハラに住んでいるアリさんは”アリ・ブハリー”(ブハラのアリ)と名乗るといった感じ。一方、遊牧民は部族に帰属感を抱いていました。カザフ人は元々は遊牧民族ですが、その昔(ロシアの支配下に入るまで)は名前と父称しかありませんでした。つまり、”○○(名前)・××の息子もしくは娘”と名乗り、それに自分の属する部族の名称を言えばお互いの識別が可能だったということです。ちなみに、中国出身のカザフ人たちは今でも名字を名乗っていません。近年ではカザフスタンに移住する中国のカザフ人たちが増えてきましたが、彼らはカザフスタン国籍を取る際に姓を登録しなければならず(カザフスタンなど旧ソ連の国々では姓・名・父称を名乗るのが習慣)、考えあぐねた末に自分たちの部族の名前を苗字にしたりするのが興味深かったりします。 中央アジアの歴史は民族ごとには語れないスケールの大きさ。時代ごとに数多くの民族が行き交い、征服したりされたり、そして混血を重ねていったのでしょうね。それは島国・日本人の想像をはるかに越える大陸的なスケールです。 定住民と遊牧民は今でも「野蛮だ(定住民が遊牧民に対して)」とか「サルト(遊牧民が定住民を蔑んだりするときに呼ぶ名称)」などとお互いを区別したがりますが、意外なことに現在のウズベク人というのは元々は遊牧系。シルダリア河流域で生活していた遊牧系ウズベク族がチムール帝国を滅ぼし、現在のウズベキスタンの地で次第に定住生活を送るようになったのですよ。 アリ・ファラビという中世中央アジアが生んだ偉大な学者がいますが、カザフスタン南部のオトラル(チンギス・ハーンに全滅させられた都市として有名)で生まれたため、新生カザフスタンの紙幣には彼の横顔が印刷されています。ターバンを巻いたその彫りの深い横顔は現在のカザフ人の風貌とは全く違うものですが、この人物が亡くなったのはシリアのダマスカスでした。その歴史のスケールの大きさを認識することなく、カザフ人は「アリ・ファラビはカザフ人」と言い、一方でウズベク人は「いや、彼はウズベク人だ。ウズベク人がカザフスタンの紙幣に描かれているのは納得がいかない」と言ったりします。つまり、国によって歴史観が全く異なるのです。 ソ連解体直後、中央アジアの国々では新たに国民統合を図るため、その礎となる英雄を見出してきました。新生ウズベキスタンの英雄チムールはキプチャク(モンゴル系)遊牧民の出身ですが、細かいことはさておき、ウズベキスタンの誇る青の都サマルカンドを建設した偉大な英雄は褒め称えてしかるべしということなのでしょう。 そういう意味では、民族や歴史というのはフィクションなのかもしれません。 しばらくブログはお休み。今日から10日間はイスラエルです。
by yksilkroad
| 2006-01-18 06:26
| 中央アジア
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